
経歴
福岡大学 人文学部教育臨床心理学科 卒業
その後会社員として働き始めるも、パニック障害を発症し退職。
28歳のときインナーチャイルドセラピーと出会い、アダルトチルドレンの支援がしたい!ともう一度カウンセリングを学び直して今の活動に至る。
幼少期
私は九州の片田舎で4人家族の長女として生まれました。
もともと内向的ですぐ泣く子供だったようですが、大人になってから母に「3歳頃から急に笑わなくなった」と聞かされました。泣くこともこの頃には我慢するようになっていたようです。
親戚の集まりでも「いるかいないかわからない」と言われるほど喋らなかったので”大人しい子供”と周りの大人は認識していたようでした。この頃にはすでに大人の顔色を伺い、慎重に周囲を観察していたのかもしれません。
学生時代
私の生まれた家は経済的には裕福な家庭でしたが、私にとっては最も緊張する場所でした。
緊張の原因は”家庭全体が母の感情に支配されていること”と”能力や成績に対する過度な期待”。
母の機嫌次第で家全体の空気が一瞬で凍り付くような局面が日常的にあり、その機嫌は何が原因で変わるかわかりません。常に地雷原を歩いているかのような心持ちでした。
一方で、私は勉強することは苦にならないタイプでした。ある程度の成績を修めることが当たり前になるうちに、いつしか私は成績や結果、他人の良い評価=人間としての価値だと勘違いしてしまっていました。
「いい成績を出さなければ、私はここに存在してはいけない」と常に自分の価値を外側にしか見出せず、結果に固執するようになっていきました。
結果が出せるうちはメンタルも安定していますが、いつまでもその状態が続くはずもなく、挫折は存外早くやってきました。
進学した地元の高校は昔気質な伝統を重んじる校風で、もともと男子校だったという名残もありスパルタな教育方針でした。
私はその圧力に耐えられず、成績もどんどん落ちていきました。高校生活の中で、私は自分自身の価値を完全に見失っていきました。
一番苦しかったどん底期
そこからは大学、会社員と自らの意志のほとんど働かないまま、流されるように生きてきました。
心の中はいつも無価値感と不安でいっぱいでした。その場その場で相手の顔色を伺い、空気を読んで合わせるだけの生き方は体力も気力も消耗します。
大卒で入った会社では入社後すぐにパニック障害を発症し、ついにまともに働くことさえできなくなってしまいました。アルバイトを転々として食いつなぐ不安定な生活を続けながら「いつ●んでも構わない」思っていた矢先、”アダルトチルドレン”という概念、そして”インナーチャイルドセラピー”という心理療法に出会いました。
インナーチャイルドセラピーに出会って
カウンセリングを受けてはじめて、私の育った家庭は機能不全家族であったこと、自分が傷ついていたこと、それに自分で気付いてすらいなかったということに改めて直面しました。
初めて、親と自分を切り離し客観的に自分自身と向き合う術を学びました。そして心の傷は自分の意思次第で癒すことが出来るという事実も、このとき初めて実感を持って知ることが出来ました。
私は、心の底からカウンセリングによって命を救われたと感じています。あのときインナーチャイルドセラピーに出会わなければ、きっと今頃どこかで野垂れ●ぬか、自ら命を絶っていたことでしょう。
だからこそ同じように、今ギリギリで命を繋いでいる誰かに私から手を差し伸べたい。
寄り添って、共に生きたいと思ったのです。
現在
カウンセリングを卒業したあと、今度は自分がセラピストになるため、もう一度カウンセリング技術を学び直しました。
それと同時に自分自身と向き合い続け、自分を大切に扱うやり方についても独自に研究を重ねてきました。
どこに行っても仕事が続かなかった私が、現在ではこうして起業し、生きがいと使命を感じながら未来の希望に心をときめかせて生きています。
何かを手に入れれば… 外側の環境が変われば… 幸せになれる、わけではありません。
幸せは自らの内側に、自らの手で育てていくものなのだと、私のこれまでに人生が証明しています。
ここまで読んでくださってありがとうございます。もし、あなたが今「変わりたい」と思っているのなら一緒に一歩を踏み出してみませんか?一緒に歩いていきましょう。
