【目次】
こんにちは。本当の自分に出会うインナーチャイルドセラピストの穂波ちひろです。
私は、アダルトチルドレンに特有の不安や焦り、自分に自信が持てない、つい我慢して怒りをため込んでしまう・・・
などのお悩みを中心にインナーチャイルドセラピーという療法を使ったカウンセリングをしています。
アダルトチルドレン、インナーチャイルド、という言葉を初めて聞くという方もいらっしゃるかもしれません。
インナーチャイルドとは、傷ついた内なる子供の心。
アダルトチルドレンとは、そんなインナーチャイルド(傷ついた心)を持ったまま大人になってしまった人のことをいいます。
アダルトチルドレンは自覚がない場合がほとんどです。
理由はわからないけれど、なんだか全く自分に自信がない・・・
自分が本当は何がしたいのか、何が本当の喜びなのかわからない・・・
そんなもやもやとした苦しみに悩まされていませんか?
あなたも、もしかしたら、アダルトチルドレンかもしれません。
アダルトチルドレンの場合、しっかりと自分自身と向き合う根本的なアプローチが不可欠です。
放置していて、自然にアダルトチルドレンが解消されることはありません。
そんな私自身も、過去にアダルトチルドレンだという自覚がなく長い間苦しい思いをしてきた経験があります。
少しだけ、私の過去と、どうしてカウンセラーになったのかというお話をさせてください。
恥ずかしがり屋で大人しかった幼少期
私は、とても大人しい子供でした。
外ではしゃぎまわるよりは、家の中で絵を描く方が好きだし、話しかけても恥ずかしがってお母さんの後ろに隠れてしまうような、自己主張が苦手なタイプでした。
親戚で集まっても「いるかいないかわからない」と言われるほど、存在感が薄かったようです(笑)
そんなインドアな子供だったので、本を読むのも大好きでした。
単純に色んなことを知るのが楽しくて、自然と勉強することも好きになっていきました。
機能不全家族の片鱗
私の家庭は、地方公務員の父、専業主婦の母、弟の4人家族で、ごく一般的な田舎の兼業農家でした。
私は後々、精神的な疾患に苦しんだ期間があるのですが、そうした疾患が私に出るまでは、父は子育てに興味がなく、家庭に関心のない人でした。
家のことは母に任せっぱなしの上、母と何か口論になると「誰の稼ぎで食わせてもらっとうと思いようとか」と大きな声を出すこともしばしばでした。
母は、自分は頭が悪い、出来が悪い、といったようなコンプレックスを強く持っていました。
また、母の実家があまり裕福ではなかったため、両親共働きで寂しい思いをしたり、お金がなくて惨めな思いをしたりと、つらい幼少期を過ごしたようでした。
母自身もアダルトチルドレンであり、強いトラウマを抱えて生きていました。
それが原因か、「子供には勉強で苦労させたくない」「お金で苦労させたくない」「惨めな思いをさせたくない」という思いが人一倍強かったのでしょう。
私たち子供の教育には、小さいころから熱心で、成長するにつれ「まだできるはず」「もっとできるはず」と期待はどんどん大きくなっていきました。
期待が大きくなるにつれ、自然と過干渉になっていき、私の人生における大きな決断にまで口出しをするようになっていました。
自分で自分の人生が決められない
最初に訪れた大きな困難は、高校進学の進路でした。
私はデザイン系の学校に行きたかったのですが、親には「絵なんか食いっぱぐれるに決まってる」と断固として反対されてしまいました。
私は親の反対を押し切ってまで、自分がやりたいことを選択できず、幸か不幸か、成績は悪くなかったために、親の期待に応える形で、地元の進学校に進学しました。
今、思えば、ここで自分自身の意思で選択できなかったことをきっかけにして、私の人生が私のものじゃなくなってしまったように思います。
ここで明確に「自分軸」を失ってしまったのです。
どこにも逃げ場がない高校時代
ここからは、まさに試練の連続でした。
進学した高校は、スパルタな教育指導で有名な学校でした。
成績においてはもちろん、校則も厳しく、集団行動が徹底された、少々時代錯誤とも思えるような管理主義体制でした。
それまで好きだった勉強も「成績を落としてはいけない」「脱落するのが怖い」といった緊張感がつきまとうようになり、だんだんとつらくなっていきました。
落としてはいけないと焦るほど、成績が落ちていく悪循環にはまって、ストレスで一時期、声が出なくなるほどでした。
部活では上下関係がはっきりしていて、先輩が後輩をいじめる風習のようなものがあり、いつ何をやり玉に挙げられていじめの標的になるかわからない恐怖がありました。
学校だけではなく、家に帰っても、心安らぐ場所はありません。
この頃は父親と母親の不仲がピークで、家庭でも、いつどうやって喧嘩がはじまるかわからない状態でした。
母の過干渉もエスカレートしていき、プライベートのわずかな自由さえ奪われているように感じていました。
この頃の私は、本当に「どこにも逃げ場がない」状態で、毎日朝が来るたび絶望的な気持ちでいっぱいでした。
好きだったことが嫌いになり、周りの顔色を常に伺い、いつも緊張して怯えていました。
パニック障害で退職 どん底のフリーター生活
大学進学を機に、やっと一人暮らしが実現し束の間の自由を手に入れました。
環境が変わり、絶望感こそ薄まりましたが、心の奥底では無力感が消えませんでした。
流されるまま就職しましたが、私は何がしたいのか、何が本当の喜びなのかを失ってしまったまま、結果だけを追い求めても、何も結果はついてきません。
それなのに結果でしか自分を評価できなかったため、自己肯定感は下がる一方でした。
就職して3ヶ月も経たないうちに、パニック発作が出るようになってしまい、パニック障害、気分障害と診断され、退職しました。
そこからは、どんな仕事も長続きせず、アルバイトを転々とするフリーター生活を約10年続けました。
先の見えない不安、ギリギリで食いつなぐ低収入な自分がみじめでどうしようもなく嫌いでした。
全てを変えたインナーチャイルドセラピーとの出会い
そんな私の人生が180度変わったのは、他でもない私自身が提供する「インナーチャイルドセラピー」に出会ったからでした。
不安と惨めさがピークに達したある夜、
「このまま何もできずに死ぬんだろうか。このまま何もしないまま時間を過ごしてしまったら、死ぬとき私はどれだけ後悔するんだろう」
と急に「何もできないまま死ぬ」という恐怖が心の奥底から湧き上がってきました。
恐怖に駆り立てられるようにネットを検索して、見つけたのがインナーチャイルドセラピーを扱うカウンセリングルームのHPでした。
一歩踏み出すのは勇気が要ることでしたが、「変わりたい」という気持ちが勝り、私はカウンセリングを受けることを決意しました。
そうして、約1年、じっくりと自分に向き合い、私はやっと自分の本当の喜び、人生の目的(私は何がしたいのか)を見つけることができたのです。
失っていた自分軸を再発見しました。
あんなにも自分が嫌いで、自信がなかった私が、今は自分自身を大切に思い、愛することができるようになりました。
私には力がある、と信じられるようになり、その力を社会の役に立つよう使いたいとまで思えるようになったのです。
私がここまで大きく変化できたのは、あの夜、恐怖に駆られてネット検索したから・・・
そこで見つけたインナーチャイルドセラピーを受けてみようと決めたから・・・
カウンセリングを最後まで諦めず続けたから・・・
その行動の1つ1つが今に繋がっています。
あのとき、何もしなければ、決断しなければ、あの恐怖を感じた「何もできないまま死ぬ」という状況にいつかなっていたでしょう。
きっと今も不安の中で苦しむ私がいたかもしれません。
一人でも多くの人に自分を愛してほしい
そんな過去の私を救うような気持ちで、今、苦しい思いをしている人に、一人でも多く、私を救ってくれたインナーチャイルドセラピーを届けたい。
カウンセリングで変えられるものが、とても大きいことを知っているからこそ「自分が嫌い」「自信がもてない」「自分を変えたい」と思っている、あなたに届けたい。
勇気をもって一歩踏み出せば、必ず自分を愛し、信じられるようになります。
自分の人生をイキイキと輝かせることができるようになります。
そんな人を一人でも多く増やすことが、私の本当の喜びであり、人生の目的です。
これからの新時代に まるい社会を一緒につくりましょう
インナーチャイルドセラピーはまだまだ知名度が低いと私は感じています。
インナーチャイルドという概念がもっと広く世間に認知され、みんなが自分で自分を大切にできる世の中にしたい。
「もっと自分に優しくしていいんだよ」「傷ついた自分を認めてあげていいんだよ」
というメッセージを世の中に広く伝えたい。
自分を許すことなく他人を許すことはできません。
だからこそ、まずは自分を許すことができる人をカウンセリングで増やしていきたいと考えています。
そうして少しずつ他人も許せる人が増えていけば、もっともっとお互いに優しく、心地よく暮らしていける人が増える。
そんな風に、世界が今より少し、良くなるような活動を、ずっと続けていきたいと思っています。
私は、自分を許し、他人も許せる人=自律した個人である、と考えていて、自律した個人が集まってできる循環型社会が、これからの時代にマッチした理想の社会なのではないか、という未来へのビジョンを持っています。
これからの時代は、「自律」「個」「循環」というようなワードが鍵になってくると思います。
そんな時代を、一緒に軽やかに、パワフルに生きていきましょう。